シェルミィ「泥」ツアー 仙台spaceZero公演ライブレポート

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2025年7月20日、仙台spaceZero

シェルミィが仙台での公演のたびに頻繁に立ち寄る、いわば“馴染みの地”であるこのライブハウスにこの日もまた、負け犬たちが集まっていた。

会場に流れる開演前BGM「迷い子のリボン」が静かに途切れると、場内は暗転し、ナレーションが響く。

「本日はシェルミィ単独見世物公演ツアー『泥』仙台編にお集まりいただきありがとうございます。本日皆さんが持ち寄っていただいた泥を、我々が花にして咲かせます」

あまりに優しく、率直なその言葉に、一瞬戸惑いすら覚える。

「持ち寄っていただいた」という語り口からは、負け犬の抱えるものを丁寧に受け取ろうとする意思が感じられた。


目次

登場〜衣装|儚さと鋭さを表現したスタイル

SE「全校集壊」が鳴り響き、チャイムの音に導かれるように、メンバーがひとりずつステージへと登場する。

最初に姿を現したのは爻。

編み込まれた長い髪に、鋭利なピンが複数あしらわれており、静かに立つだけで、刃のような存在感を放っていた。

続く凌央は、襟付きのトップスを纏い、赤色のおしゃぶりを咥えての登場。

真っ赤な瞳と唇、ハーネスのような装飾が施された衣装。

中性的な可愛らしさとハードな攻撃性が共存しており、かつて顔面ピアスを多数つけていた頃の姿を思い起こさせるその造形は、“初心に帰る”というこのツアーのコンセプトとも呼応しているように感じた。

3番目に登場した友我は、ストレートを基調にしたボリュームのあるヘアスタイルに、いわゆる「ヴィジュ毛」「ヤン毛」と呼ばれる長めの襟足。

白い肌と黒く囲んだ目元、そして黒レースをあしらった衣装が、王道ヴィジュアル系ともいうべき退廃と儚さを滲ませる。

最後に登場した豹は、「少年蓮」MVでの姿に近い、濃いピンクの髪色。

釣り上がった眉が大きなタレ目の印象を際立たせ、クールさと気怠げな色気が同時に立ち上がっていた。

1曲目「放課後の凶室」→2曲目「僕の叫びはこの都会の吐瀉物に塗れてゴミとなった。」→3曲目「劣等生狂想曲」

1曲目は「放課後の凶室」。

開幕から突きつけられるのは、学校という閉鎖空間に残された苦々しい記憶だ。

「机に刻まれた『死ネ』の文字、床を這った陵辱の日々」

豹は歌いながら右手を敬礼の形に掲げ、そこから素早く斜め上へと突き上げ、その動きに呼応するように負け犬たちも同じ所作を繰り出す。

鋭く突き上げられる腕の動きが、言葉に込められた痛みを視覚化し、空間全体に伝播していく。

続く2曲目は、「僕の叫びはこの都会の吐瀉物に塗れてゴミとなった。」

曲名からして露骨なまでに感情を削り出した表現だが、演奏もまた容赦がない。

フロアでは負け犬たちがタオルを振り回しながらジャンプし、ヘドバンに身を任せ、開始早々、ステージも客席も全員が汗と熱気に包まれる空間ができあがっていた。

そして3曲目、「劣等生狂想曲」。

再びタオルが舞い、フロアの熱量はさらに加速する。

曲中では「泥試合の殺し合い」というフレーズが繰り返され、劣等感と承認欲求のぶつかり合いが、音と動きに転化されていく。

曲の終わり、豹が痰を吐き出すようなモーションを見せたのは、自分自身の劣等感すらも“排出”しきってステージに置いていくようだった。

4曲目「少年蓮」→MC①

4曲目に披露されたのは、「少年蓮」。

ツアーの象徴ともいえるこの楽曲を、豹はこの日、一切の照れ笑いも見せることなく、鋭い視線のまま真っ直ぐに歌い切った。

そして、ここで最初のMCへ。

豹が口を開く。

「こういう遠いところに来たら言おうって決めてるんやけど、
俺ら、9年やってきて、今回のツアーを一番熱いものにしたいと思ってる。
情熱を感じられるライブにするから、ツアーファイナルにも足を運んでください」

12月27日に梅田Shangri-La開催されるツアーファイナル「迷い子の理論」を告知。

仙台から大阪までの距離すら、熱量で乗り越える覚悟を示した。

5曲目「自分を殺している」→6曲目「バイバイ」→7曲目「可奈縛り」→8曲目「※これは病気です。」

豹がマイクを手に、静かに告げる。

「今回リリースした新曲3曲のうちのひとつを歌います。
心で歌うので、心で聴いてください。『自分を殺している』」

5曲目「自分を殺している」。

吐き捨てるように暴れていたさきほどまでとは一転、繊細な心のひび割れをそっと撫でるように描く。

続く6曲目は「バイバイ」。

「自分を殺している」で押し込められていた感情が、ここでは別れの言葉として、少しずつ輪郭を持ちはじめる。

そして7曲目「可奈縛り」。

繰り返される悲哀と葛藤の言葉が、じっとりとしたリズムと重く沈むコードに乗って、フロアをゆっくりと締めつけていくようだった。

8曲目「※これは病気です。」では、静寂を切り裂くように激情が噴き出す。

冒頭は静かに始まるが、次第にギターとドラムが荒々しさを増し、巻き起こるヘドバン。

「これは君を想い疾患した

歴とした病気です」

そう言い切る歌詞も相まって、感情の制御が失われていくような感覚に陥った。

9曲目「ひきこもり人生」→MC②→10曲目「ハピネス」

9曲目「ひきこもり人生」では、一気にテンションが跳ね上がる。

メンバーコール、観客との掛け合い。

「どうせ僕らいつか死ぬんだ、どうして僕ら産まれてきたの」


“生きづらさ”を暴き出すそのフレーズは、躁的なテンションの中でむしろ鮮烈に響き渡る。

ここで2回目のMCへ。

「俺らがこういうこと言うべきじゃないんかもしれんけど、
みんながこうやって俺らのこと応援してくれて、それにほんまに救われてる。
でももっと、みんなも自分のこと大事に、余裕持てるようになったら良いと思ってる」

そしてひと呼吸おいて、言葉を続ける。

「僕の不幸が、みんなの幸せになりますように。
聴いてください、『ハピネス』」

10曲目「ハピネス」。

セットリストの中では珍しい選曲だったが、冒頭のナレーション「皆さんが持ち寄った泥を花に咲かせます」と、この曲の主題がどこかで呼応しているようにも感じられる。

泥を肥やしにすることでしか咲けない花があることを、彼らは知っているということの証のようだった。

11曲目「大人になったら死にたい」→12曲目「インスティンクト_リクエスト」→13曲目「陰口」→14曲目「噂」

10曲目「ハピネス」で、祈るように差し出された「不幸」が、次の曲で突然“叫び”へと変わる。

11曲目「大人になったら死にたい」。

「死にたくなくても、叫んでください!」

観客を鼓舞する豹の言葉に続き、メンバーが1人ずつマイクをとる。

「大人になったら死にたい!」

負け犬たちも揃って「死にたい!」と応える。

笑い声とシャウトが交錯し、狂気と現実逃避が背中合わせに並ぶ瞬間だ。

12曲目は「インスティンクト_リクエスト」。

豹が放ったひと言が、空気を再び鋭く切る。

「そんな邪魔な制服なんて脱いじまえ!」

その視線の先には、学生服を着た負け犬の姿が。

暴力的な疾走感と鋭いリズムが交錯するなか、観客もまた、押し寄せる衝動に身を委ねるように暴れる。

13曲目「陰口」では、友我のギターがインダストリアル寄りの鋭いリフを響かせ、一気に攻撃的なムードに転じる。

そして14曲目「噂」。

フロア中で激しい回転ヘドバンが起こる。

観客の頭が、拳が、声が、制御不能な渦となってステージにぶつけられ、その爆発の余熱を残したまま、本編は終わりを迎えた。

アンコール|夏らしさを感じる、spaceZeroのハッピ

アンコールでは、メンバー全員が「spaceZero」と背中に書かれたハッピ姿で登場。

豹がふざけたように言う。

「本日、シェルミィ新衣装で〜す!」

観客からは笑いと拍手。

「今から選択型(リクエスト)やるけど、この格好で『メイデイメイデイ』とかやめてな?」

と、豹はあえてシェルミィ屈指の重苦しいバラード曲を引き合いに出し、爻は

「ポップになってまうやん!」

と乗っかる。

さらに豹は「ポケットの小銭ちょっと増えるわ(笑)」と、「メイデイメイデイ」の歌詞をネタにし、会場を和ませた。

ハッピの話題では、

「レンタル500円で、ドリンク付きやねんて!

これ、俺の汗で(髪色が落ちて)ピンクになったらやばい?」

という自虐に、メンバーは「買い取りやな」と笑って返す。

ここで豹が告げる。

「今から選択型やるけど、今日アンコールでやる曲言うとく。“夏の曲”と、“救急車来そうな曲”です!」

この日リクエストで選ばれたのは、「心理的瑕疵少女」。

何か言いたげだった爻が客席に確認する。

「……あれ、やる?」

「やりたいです!」という声に、爻は嬉しそうに

「やったるやったる!そんなん、なんぼでもやったるわな〜」

と頷く。

「私は負け犬事故物件!」

というおなじみのコールアンドレスポンスを指してのその言葉に、ステージとフロアの距離が一気に縮まり、イントロが始まる。

フレーズが飛び出すと、観客の声がステージに食らいつくように響いた。

アンコール2曲目「ビーニアイコール」→ラスト「優しい世界」

アンコール2曲目は「ビーニアイコール」。

豹が事前に「夏の曲やる」と予告していた1曲で、軽やかなリズムと背徳感を滲ませるメロディが印象的だ。

そしてラストは、「優しい世界」。

扇子が舞い上がり、会場には華やかな動きと色が咲いた。

最後に|“行動”だけが信じられる、という言葉

アンコールを終えたあと、豹は最後にこう語った。

「人に合わせて、自分で判断せずに脳死で居てくれてもいいけどさ。
DMくれたり、リプくれたりするよりも、
こうやって会いにきてくれる、その“行動力”が一番信じられる。」

優しさも愛情も、言葉だけならいくらでも作れる時代にあって、“実際に足を運ぶこと”だけが真実だとするその言葉は、今日のライブのすべてを裏打ちするような強さがあった。

ライブという空間でしか見られないものが、確かに存在している。

観客がこの空間に足を運び、ともに泥まみれになってくれること――その行為そのものが、彼らを次のステージへと向かわせる原動力となっている。

そして、この先に待つのが、8月に控える関西4公演だ。

10周年に向けて躍動するシェルミィの“今”を体感するなら、必ず目撃してほしい。

シェルミィ

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この記事を書いた人

関西在住。大学では法哲学を専攻し、「ヴィジュアル系における自由と規律」をテーマに研究。音楽を通じた表現と社会的規範の関係性に関心を持ち、ヴィジュアル系という文化現象を美学・社会構造・言語の観点から読み解いてきた。現在はメディア運営者・ライターとして、執筆を通じてバンドの世界観を言語化し、ヴィジュアル系の魅力を広く伝える活動をしている。

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